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無題

更新日:7月10日

芸術は距離感を組み替える力だ。

知らないだれかの感情を自分のもののように感じること

異国に根づく文化や信仰、霊感への共感

日常と地続きの情景や旋律のなかに普遍性(聖性)をみること

経験していない過去に感じるなつかしさ


時間的・空間的な距離と精神的な距離が必ずしも一致しないこと


芸術を通して私たちは、他者や世界、自分自身との距離を多層的にとらえる。

(知っているつもりでたいして知ってはいなかったのだと気づくことは、相手に近づいているのか、それとも遠のいているんだろうか。)


一方ことばは基本的にひとつの視点しかもたない。連続的なグラデーションであるはずの世界を、ことばは特定の視点から切り分け固定する。ギターのフレットが音を固定するみたいに。

芸術はことばとは異なる回路ではたらく。とくに音は、不定な移ろいやあとに残る余韻、再現性の確からしさ(不確かさ)などあらゆるところが感情に似ていると思う。ことばにならない感情も音楽によってなら数段正確に(心に似た形で)表せることがある。


芸術は、ことばであらわされる特定の感情の普遍性を示すに留まらず「そのときのその人の感情そのものの普遍性」を示す。ドビュッシーの月の光があらわすのは月ではなく、月の美しさを感じる気持ちでもなく、当時のドビュッシーの心そのものだ。私たちは曲を通して月の美しさを想起するだけでなく、彼の感情そのものに近づくことができる。


芸術はすべて、ことばによる一元化への抵抗だ。


だけど芸術の伝達はことばなしに成り立たない。

ことばは視点を固定する代わりに細部をとらえる。

ことばを介することでパターンや連なり、対立の認識が容易になり、音楽のレッスンでは楽譜や技能に対する解像度もものすごく高めることができる。


また、どんな偉大な芸術家の創作プロセスにもことばはあって、ことばによって彼らの世界が形づくられてもいたはずだ。背景や技術をことばで伝える試みのなかで、先人を取り巻く環境や辿った道筋の一端がみえるようになってくる。

ことばで学ぶことは言い換えれば歴史に沿って学ぶということで、歴史を抜きに芸術は学べない。


私も大切なことはすべてことばで教わった。

そして同時に、芸術が表そうとするものはことばの枠組みの外にあると知っている。それは日々触れる芸術作品や演奏、先生方のレッスンのなかで、ことばの外側をたくさん浴びてきたからだと思う。私もすこしでも、そういう外側の一部になっていけたらと思う。


人や世界の果てしない奥ゆきを、知り得なさを知っていること

ことばに試行錯誤しながら、知り得た一部については細部を噛み砕きながら、ことばの枠の外、その先の余白を、私自身が浴び続け、大切にすること




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メモ 幼児〜児童の指導

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